満ち欠け

あと1週間ほどで満月。

快晴の1日、今日も月が綺麗だった。

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昨日の未明に、子どもを今の保育園に入れようというひとつの気持ちのきっかけになった子の、お母さんが亡くなった。

来週少し時間があるから、病院にも、行けるかなどうかなとぼやっと考えていたところだった。

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こういうときは、ぼやっとしていたら間に合わないこと、これまでなんども反省してきたはずなのに、また間に合わなかった。

昨日の夕方に訃報を聞いて、また、反省した。

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今朝、子どもにそのことを話した。

話していたら涙が出たので、3歳になって間もない子どももそれが悲しいことなのだとわかったようだった。

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悲しいとか寂しいとかかわいそうとか残念とか、似ているようで似ていない様々なニュアンスの言葉を駆使するよりも、ただ事実を告げるということ、真剣な目をすること、それだけで、何か、通じるものだ。

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わたしは医療者であったので、たぶん普通よりはずっと、関わった人を、多く失くしてきている。

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人が亡くなったとき、関わった人の心には多かれ少なかれ穴があく。

その穴は、外からは見えない。

そのことについて語る者も語らない者も、触れる者も触れない者も、いろんな穴の受け止め方がある。

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時間がかかるときも、ある。

言葉に出せないことも、ある。

逃避したり何かに置き換えたりしてしまうことも、ある。

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でも間違いなく、穴はあいている。

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私たちはすべからく死に向かって生きている。たくさんの穴を身に穿ちながら生きているようなものだ。

子どもも今日、今の彼なりの、穴を持ったと思う。

彼が接した、彼女の穴を、引き受けたと思う。

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そしていつものことだけれど、また、今日を明日を楽しく生きていこうと思った。

彼や彼女が生きられなかった明日を、彼や彼女が生きたかったように。

穴を抱えて。