わたしの自由を
わたしが10歳の頃持っていた自由を
わたしは息子に与えてやれるだろうか
あの頃のわたしは本当に自由だった
わたしはそれからずっと自由に育った
誰もわたしを妨げたりしなかった
いやもしかしたら何かあったのかもしれないが、わたしは何も憶えていない
今もわたしは自由を求める
深夜一時半、酒を飲んで帰宅したわたしを、誰も咎めない生活を望んでいる
わたしはいつも自由でありたい
誰かがそう自由でありたいと言ったときに
わたしは誰かを許せるだろうか
本当は知っているのだ
わたしの自由の裏にある、誰かの不自由を
そろそろわたしは不自由を
受け止める覚悟が必要かもしれない
深夜、鏡に映る自分の化粧を落としながら
そんなことを考える
深夜、一人で洗面所で、歯を磨く至福を噛みしめる
若さと悩みと未来と
満ち欠け
あと1週間ほどで満月。
快晴の1日、今日も月が綺麗だった。
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昨日の未明に、子どもを今の保育園に入れようというひとつの気持ちのきっかけになった子の、お母さんが亡くなった。
来週少し時間があるから、病院にも、行けるかなどうかなとぼやっと考えていたところだった。
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こういうときは、ぼやっとしていたら間に合わないこと、これまでなんども反省してきたはずなのに、また間に合わなかった。
昨日の夕方に訃報を聞いて、また、反省した。
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今朝、子どもにそのことを話した。
話していたら涙が出たので、3歳になって間もない子どももそれが悲しいことなのだとわかったようだった。
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悲しいとか寂しいとかかわいそうとか残念とか、似ているようで似ていない様々なニュアンスの言葉を駆使するよりも、ただ事実を告げるということ、真剣な目をすること、それだけで、何か、通じるものだ。
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わたしは医療者であったので、たぶん普通よりはずっと、関わった人を、多く失くしてきている。
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人が亡くなったとき、関わった人の心には多かれ少なかれ穴があく。
その穴は、外からは見えない。
そのことについて語る者も語らない者も、触れる者も触れない者も、いろんな穴の受け止め方がある。
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時間がかかるときも、ある。
言葉に出せないことも、ある。
逃避したり何かに置き換えたりしてしまうことも、ある。
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でも間違いなく、穴はあいている。
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私たちはすべからく死に向かって生きている。たくさんの穴を身に穿ちながら生きているようなものだ。
子どもも今日、今の彼なりの、穴を持ったと思う。
彼が接した、彼女の穴を、引き受けたと思う。
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そしていつものことだけれど、また、今日を明日を楽しく生きていこうと思った。
彼や彼女が生きられなかった明日を、彼や彼女が生きたかったように。
穴を抱えて。
気質についての備忘録
体調不良な子の咳で眠れぬ夜。
咳をする中で『お仕事行っちゃダメ』って寝言言ってた。
この春の緊張感はハンパないようだ。
来週には高尾山が決まったので、親や保育士の緊張感(とワクワクドキドキ感)を子どもたちも感じている。
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ここで『そーかいそーかい少し一緒にいようか』と1日保育園を休ませることもできるし、『いやいやいま休んだら漸増してる負荷に心身が適応追いつかなくなるから頑張れ』といつもどおり保育園にということもできるが、どっちがいいのかわからないので明日園長にちらっと相談してみようと思う。
(たぶん、結果、行かせることになるけど、同時にどう欲求を満たすかもう少し細かい対応をアドバイスされると想像している。)
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こういうときに客観的な意見と相談ができる場所があるのは嬉しい。
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子どもに何がいいのか、いけないのかは、簡単には決まらなくて、年単位、月単位、日単位、時間単位の判断があるんだろうと思う。
今やわたしよりものびのびした一馬に接する時間が長い保育士から見てなにがどうなのか「まあどれも一理あるけど総合的にこうだよネ」とか言ってもらえるのがありがたい。
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それに全て従うわけではないにしても、そういう『総合的』エッセンスみたいなものを感じるのが大事な気がしている。
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前置きが長くなりすぎた。
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3歳になって、その子らしさ、みたいなものが見えてきたなーと思うことが増えたのだけど、その過程で気になってた言葉についてセレンディップさん的な出会いがあったので、備忘のため、以下を書いたのだった。
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『気質』という言葉について気になっててアンテナ張ってたんだけど(アンテナを張る≠積極的に調べる)、たまたま読んだ記事から派生してこのページにたどり着いた。
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いわゆる子どもの「生まれつきこの子はこう」という部分の話だということはよくわかった。
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こういうのって、自己判断したり専門家でない人が判断しようとすると、大抵ミス起こす感じの分類なんだよなという印象が拭いきれない。
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ちなみに大人の分類テストはあるけど子どもに対しては行動様式から推測するするしかない部分が大きいようなので、さらに注意が必要。
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特に、この理論を使って、簡単に子どもを肯定、否定することに注意が必要。
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心理精神的な部分て、日々の生活に直結してるのでわかりづらいけど、それにはそれの専門家がいてさらに専門家にも思想があるわけで、いろんな意味で簡単に使えない言葉だなこりゃ、と思った次第。
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子育てって肯定感探しに似てるから、こういう理論は利用されて儲かりそう。
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個人的には手段としてではなくあくまで理論の範囲に留めたい。日々の生活と子どもに対する態度等にあまり影響させたくない。
ただ、知っているということは大切なので、もう少しアンテナ張っておこうと思う。
oo2 自由を奪う罠に敏感なのである
上司が「命令」という言葉を使ったとき、もうここには居られないと思った。
認可保育園で親が転職しづらいと知ったとき、認可保育園には預けられないと思った。
過渡期にある世の中で、組織はルール頼みでしか「子育て女性の社会復帰」を語れないと知ったとき、組織にいるのをやめようと思った。
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わたしは昔から自由であることが至上の喜びだ。それを妨げるものから逃れ続けてきたと思う。ルールは、最低限しか守るつもりがない。納得しなければ従いたくない。
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昔から勉強が大好きで、だから大学に入るところまではこの社会で苦労しなかったと思う。だって勉強でしか子どもの能力を測らない世の中だから。ラッキーだった。好きなことやってれば、周囲は勝手に良い子だと思ってくれた。
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小学校のときは宿題は意味がないと思ってほとんどやらなかった。ただただ時間を消費させるだけのドリルなんて、つまらなかった。好きな作文や自由研究はやったので、そんなに怒られなかった。
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中学校のときは、意味のない上下関係に縛る部活にいられなかった。カバンの持ち方が学年ごとに決まっていた。今でもバカじゃないかと思う。そういうことを是とする同学年の女の子たちにも嫌われた。わたしの方こそ嫌いだ、と思っていた。同調圧力を人生で一番強く感じる時代だったと思う。先生たちは味方してくれたので、なんとか3年間を過ごした。
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高校からは自分で学校を選べるようになって、自由を謳歌した。市立の学校に作られた国際教養科という、学年10クラス中、1クラスの特別クラスは、偏差値が普通科よりも良かったこともあって、先生たちから自由を容認されていた。ああ、世の中は、その場でやることやれれば自由が認められるのだ、と知った。(担任の先生は、3年間、自由に振る舞う学生たちをずっと職員室で守り続けてくれた。)
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大学は言わずもがな、人と違うことを大事にしてくれる場所だったから最高だった。
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もちろん社会に出たときに、やりたくないこともやらなければならなかった。それでも、最初に勤めた場所が外資系の金融だったので、なんとか仕事をした。就職活動で内定をもらって、一番社員が自由にしていそうな場所(わたしを自由に伸ばしてくれそうな場所)を選んだ、ということもある。
そもそも活動中に、自由でないと感じた会社は途中で面接をお断りしたし、もちろん、向こうからもお断りされたりした。笑
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とにかく、自由を妨げるものに、すぐに気がつく。
そういう考え方の人には近づかなくなる。
そういう意味では草原のシマウマのごとく、外敵に敏感だと自分で思う。
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実は子育てを始めたときも、同じように閉塞感を感じていた。子どもを持つということは、自分の自由を提供するということなのだと痛感した。それでも子どもは可愛くて、このわたしが自由を分け与えることを許容できるのだから、子どもの魅力というのは果てしないと毎日感心している。(いや、子どもはわたしの自由への欲求が息苦しく寂しいのかもしれないが、これでもすごいことなのだよ、息子よ。)
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ただ、このままではまずい、という気持ちが働いて、3ヶ月半で息子との密着関係を終了した。今でも良かったと思っている。保育ママさんもきっと、この人には24時間密着関係は無理だと思って入れてくれたのだと思う。とにかく保活中のわたしは奪われた自由を感じて苦しかった。
自由が奪われる!・・・そういう時のわたしの行動力は素晴らしくて(自画自賛)、保育ママへの預けが決まった頃、子ども子育て会議の区民委員を募集していると友人が教えてくれたその翌日には提出作文を書いて応募した。
保活という謎の未知の怪物は、保活を牛耳っている行政に近づかなければその生態を理解することはできないと思ったのだった。結果、そこで出会った人に今の保育園を紹介してもらって、無認可の自由を謳歌させてもらうことになった。
長い延長保育、365日の保育、行事は全て保育士が企画運営、そういう便利さと引き換えに、認可だからこその様々なルールが、わたしを不自由にするように感じているのだと気づいたのも、この頃だ。
もちろん、無認可には無認可だからこその参加型不自由(行事の積極的運営や季節ごとの園の長期休みなど)はあるけれど、そんなの認可のルールづくめの不自由に比べれば、どうってことはない。
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とにかく、自由が必要だ。
だから、家族は大変だ。
でも「罠」にわざわざ引っ掛からないように動くというのは本能だ。
わたしにとっての罠が「不自由」なのだから仕方がない。
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強いて言えば行動力だけが、罠を抜ける術だと思う。
001 とりあえずスタート
4月1日はエイプリルフールなのに、世間では年度始めだったりして、嘘だか本当だかわからないことが毎年のこの日、日本国内で飛び交っている。
わたしはどこにも所属しないわたしになった。とりあえず、国民健康保険とか、国民年金とか、そういう手続きをしなければならない。日曜日始まりで、すっかり忘れていた。明日の歯医者は大丈夫なのか?
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辞めることで不安なことはもちろん金銭的なことなので、そこをどうしていくか、それだけでも不透明で気持ちももやもやすることがある。
そのもやもやの中の自分を、複数の人の声かけが助けてくれる。
まあ何とかなるだろうと思う。何でだかはわからないのだけれど。
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明日は子どもの保育園の入園式だ。子どもの「のうさぎ」クラスの新しい担任の発表もある。楽しみだ。
常勤でなくなったから、堂々と参加できる。隙間で、仕事をやろう。