自分で決めたと思うけど

編集学校で、自分史を振り返っている。ここまでの人生を振り返って、50以上の史実(笑)を書き連ねるところから始まるのだけど、気がついたら70近くになっていた。

書き出してみると面白いもので、10年ごとに密度が違う。気持ちや感情や思い出の質も違う。

わたしは大学卒業まではいわゆる普通の線路の上を走っていたけど(高校まで公立、大学受験で東京の大学、的な)、その後は目まぐるしく曲がったりくねったりその度に勝手に自分で進路を選んできた。もしかしたらいま後ろ向きに進んでいるかもしれないくらいには角度が変わっていると思う。

そうそう、勝手に自分で、と、思いながら進んできたのだ。

大学卒業して就職したとき、退職して理学療法士になるためにふたつめの大学に入ったとき、結婚したとき、理学療法士として就職したとき、仕事を離れて大学院に進んだとき、離婚したとき、教員になったとき、二度めの結婚をしたとき、SOMの仕事を始めたとき、いつだって、自分主体に自分の進路を選んできたのだ、と。

けれど自分史を作成してみたら、そこには常に誰かがいて。

会社を辞めるときの同僚や上司の言葉、理学療法士になるための過程で出会った先生やクラスメイトや仲間の言葉、病院勤務の先輩たちの言葉、結婚と離婚に関わってくれたいろんな人の言葉、大学院で叱咤激励しつづけてくださった先生や先輩や同期たち、教員に声をかけてもらって採用してくださった方々の言葉、二度めの結婚のときの友達の言葉、SOMに声かけてくださったときの言葉、いつもわたしの周りには、『わたしのやりたいこと』を支えてくれる人たちがいた。

自分で掴み取ったように見えることも、実は大きなうねりの中で、わたしを見ていてくれた人がわたしを拾ってくれたに過ぎない。

わたしは誰かの敷いてくれた線路の上を、スキップしながら歌って歩いてきただけに過ぎない。

だからこそできるだけ、高く跳ねながら生きたいと思う。四十を前に、何を言っているのかと言われるかもしれないけれど。