進化する子どもの、ひとつ先を

丸3年子育てしてみてわかったのは、子どもの進化に親はついていけないということだ。自分の腹から生まれた子どもが、何ヶ月もあーとかうーしか言えなかった子どもが、たった3年で座り、立ち、言葉を話し、自分の意見を通そうと語気を強めるようにまでなるなんて、生まれたてのあの3000グラムからは想像すらできない。

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一方、親の3年間なんて、身体の変化も心の変化も大したことがない。世の中のことは大抵わかったつもりになっているし、刺激も少ないし、自分自身の変容も取るに足らない程度しかない。わたしの世界は子どもを持って変わったわー!なんて、胎内の子どもが重力下に産み落とされたことに比べたら、なんてことはない。

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だから、そもそも、前を歩いているのは子どもであって、親はオロオロあとをついていくしかない。背中を見せているつもりで、いつも子どもの背中に翻弄されている。

先日保育園で節分の豆まきがあった。鬼は年長。夜、行事に参加した年長の親が見せてくれた写真に、はたと気づいたことがある。

クリスマスのサンタは親がやった。なぜ節分は年長なのか。

年長にとってこの時期は、小学校への期待と不安が入り混じる時期だ。そしてこの1年、最年長の学年として下の子どもたちの憧れとなり目標となり、同時にその役を担うための様々な試練に自分を晒してきた。

3歳から高尾山登山の始まる保育園では、年長になったら大人並みに山を乗り越えられることが求められる。3歳の子どもたちを励まし、手を取るのも年長の役目だ。

年長になると自分で編んだ縄を飛ぶ。運動会で見せる棒登りも、壁超えも、身体ひとつでこれまで歩いてきた努力の集大成だ。

年長を見なさい!と言われる。さすが年長!と声をかけられる。そして年長は優しい。

鬼の役目は、大人への仲間入りだった。

全ての裏を見せてもらった上で、下の子たちに自分たちだと悟られないように、隠れたり、隠したり。ああーこれまで大人はこうやって様々なイベントで自分たちを楽しませてくれたのか、と、初めて知る。

そして、下の子たちは精一杯豆を投げつける。もう自分たちの世界とは違う場所に行ってしまった年長たちに。

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もじもじしながら鬼の役目を果たしつつ、立春に旅立つなんて。

それを演出する保育士たちは、親とは違う、大人なのだと気付かされた。

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子どもに本当に背中を見せてあげられるのは、親以外の大人なのかもしれない。