知らないことは増えていく

先日、生理学会が主催する若手研究者のための生理学セミナーに出席した。

わたしが初めて生理学という学問を教室で学んだのは、25歳になる年の春だ。理学療法士になるために入学した大学で、生理学とはなんぞやーと思いながら椅子に座っていた。生理学は面白かった。

解剖学がハードなら、生理学はソフト。よくそうやってコンピュータの機械本体とOSに例えられたりする。(ただ、コンピュータはハードもソフトも人がゼロから開発してきたものであって、ヒトの身体はもともとそこにあるものをハード的なもの(解剖学)とソフト的なもの(生理学)に分割しているだけなので、そういう意味では自然科学を工学的なものの理解に落とし込むのは限界があるなとも感じる。)

久しぶりに生理学の講義を受けて、この15年の学問の深化を感じた。

わたしが生理学を学んだ頃の最先端のトピックが、いまや基礎の基礎だった。たとえば7回膜貫通型受容体。視覚の受容体であるロドプシンで発見されたのが2000年くらいで、詳細に同定された時期はそれより後。その後大学院に入るまで生理学の基礎的な復習を怠っていたわたしは、そこまでは聞いたこともなかったのだが、今となっては基礎の基礎かー・・・と感慨深い。

知らないことを知りたいと、学問を続けている人たちがいる限り、その周辺にいる自分たちにとっては、わかっているのに知らないこと、というものが増えていく。分野は違えど「ジョハリの窓」のように分けたとしたら、なんだか世界は大きくて、自分の知のちっぽけなことに、わくわくドキドキしてしまった。

知らないことがまだまだある、って、なんだかとても素敵なのだ。

セミナーでのわくわくした集中をお伝えするには、そのときのノートを見てもらえば分かると思う!

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