実習に受かるにはどうしたらいいか

いま理学療法士を養成する学校で教員をしています。担任をしたり、学校の備品を整理したり、実習先の理学療法士の方々と連絡をとったり、授業をやる以外にもいろいろ仕事があります。

学生と話をしていると「実習がこわい」「どうやったら無事乗り越えられますか」という言葉を聞くことがあります。その言葉の真意って何かな、といつも考えます。

実習は、自分をストレッチゾーンに置く訓練だと思います。コンフォートゾーンから抜け出して、少し自分に負荷をかける。学校と病院の関係性の中での実習なので、完全にアウェイというわけでもなく、でも日頃の勉強を対患者で実践することができる、いいシステムです。医学教育では、クリニカルクラークシップという形で、ほぼ見学実習に近いブレインストーミングを実習とする流れがありますが、これは資格取得後に現場で働くまでに研修(医師でいえば研修医の期間)が用意されていれば効果的なのでしょうが、就職後に定められた研修というものがない理学療法士の養成の中ではやはり臨床実習は必須の過程なのではないかと思います。

ストレッチゾーンなので、自分が『楽』では意味がありません。自分にできないことを見つけ、実感し、それを改善する努力をする場なので、ストレスがかかります。それが怖いのかな。

学生によっては、全く知らない環境で一人で「試される」ことが怖いのかな、とも思います。

今日、備品整理をしました。学内をうろうろ、大きな荷物等を持って、数名の教員や職員が汗をかいていました。その横の教室で、実習前の学生が関節可動域を測る練習をしていました。気づいていたのかいないのか。わからないんですが。

理学療法士の仕事は患者さんの様子やふるまいをきちんと観察して、手助けする仕事です。つまり「気づき」と「行動」が全てです。『飲み込みづらいの』と話す患者さんに『それは自分じゃなくてSTに相談してくださいね』と言うか、『そうですか、飲み込みの運動を確認しましょう、わたしでわからなければSTに相談してみますね』と言うか。大きな違いです。

気づけるか。動けるか。実習先でも、結局はそれを評価していると思います。学生が完璧な評価と治療をできるなんて誰も思っていないけれど、治療と評価に必要な気づきと行動が身についているかどうかはすぐにわかります。

なんて、わたしも学生の時は、最初の実習でずっとそのことを怒られていました。そのときのスーパーバイザーの先生には今でも頭が上がりません。こういうことを言っていたんだなと、患者さんを担当するようになって初めて気が付きました。(そしてまだまだ修行中です。)

尊敬している理学療法士の先輩に言われたことがあります。「患者さんをベッドから起こす。リハビリに誘う。そのときめくった布団をささっとたためるか。そういうひとつひとつの行動がどんな人間か表すんだ。」

他人に身体を預けるときに、どんな人間に預けたいか。

実習に受かるには、まずは自分に気づくことからかな。